戦後初の覆面歌手としてデビューした、初代コロムビアローズさん。
61年前のヒット曲『東京のバスガール』を披露されます。
初代コロンビアローズの名前の由来や戦後初の覆面歌手!
芸名が変わっていたり、覆面だったりとか、
気になることがいっぱいの初代コロンビアローズさんです。
結婚や出産なども気になりますよね。
最近の暮らしなどはどうしているのでしょうか?
初代コロンビアローズさんについて調べてみました。
初代コロムビアローズさんが覆面の歌手だった理由や本名は?
覆面歌手としての理由
初代コロムビアローズ、本名は松本マツ江(旧姓:斉藤まつ枝)さんです。
彼女が覆面歌手としてデビューしたのは、戦後初の試みでした。戦前に「ミス・コロムビア」として成功した覆面歌手の例を参考に、日本コロムビアが宣伝戦略として計画したものです。
覆面をすることで、ミステリアスな魅力を持たせ、リスナーの興味を引きつける狙いがありました
生年月日:1933年(昭和8年)1月9日生まれで85歳
出身地:群馬県桐生市
1951年(昭和26年)に開催された、第2回コロムビア全国歌謡コンクールで
優勝したことが、初代コロムビアローズさんの
芸能界デビューしたきっかけとなりました。
そもそもは戦前にデビューした
松原操が東京音楽学校(現:東京芸術大学)に在学中だったことから、
素顔を出さない覆面歌手の
「ミス・コロムビア」として活躍し成功した例を参考に、
「戦後初の覆面歌手」として会社の宣伝戦略から計画された。
1952年の19歳の時に歌手デビューをしました。
芸名は、会社名の「コロンビア」と
第2次世界大戦中、日本軍による連合国向けプロパガンダ放送を担い、
アメリカ軍の兵士から「東京ローズ」と呼ばれた
女性アナウンサーの名前をあわせて
『初代 コロンビアローズ』と名づけられました。
1961年(昭和36年)28歳の時に
芸能界を引退し結婚しました。
それは突然の芸能界引退でした!!!
結婚と出産、子育てが落ち着き、
1979年(昭和54年)に芸能界に復帰し、85歳の現在も、
現役歌手として芸能界で活躍しています。
初代コロムビアローズのヒット曲や代表曲
1951年に「第2回日本コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝し、日本コロムビアに入社。
翌年、「娘十九はまだ純情よ」でデビューし、一躍有名になりました。
その後も「どうせ拾った恋だもの」や「東京のバスガール」など、多くのヒット曲を生み出しました。
1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)にかけ
「渡り鳥いつ帰る」「東京のバスガール」などのヒットを連発しました。
特にヒット曲は「東京のバスガール」で、
当時異例とも言える100万枚を売り上げました。
初代コロンビアローズさんの姿に憧れ
バスガイドを目指す女性が急増したそうです。
渡り鳥いつ帰る | ||||
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初代コロンビアローズさんですが、
徹子の部屋では「東京のバスガール」を熱唱します。
初代コロムビア・ローズ全曲集 東京のバスガール | ||||
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1956年(昭和31年)には「娘艶歌師」でNHK紅白歌合戦に初出場しました。
1960年(昭和35年)まで5年連続のNHK紅白歌合戦の出場をしました。
ヒット曲を連発したにもかかわらず、1961年(昭和36年)に突然の引退をしました。
初代コロムビアローズの夫や娘も!
家族について
松本マツ江さんは、1964年に日本コロムビアの社員である松本巌さんと結婚しました。
二人の娘に恵まれ、長女は舞台女優、次女はダンス指導者として活躍しています。
夫の松本巌さんとは2004年に死別しましたが、家族との絆は深く、現在も娘たちと共に過ごしています。
引退と復帰
1961年に胸部疾患を理由に突如引退を表明しましたが、昭和40年代の懐メロブームを機に歌手活動を再開しました1。その後もステージ活動やカラオケ教室の歌唱指導、歌謡コンクールの審査員など、多岐にわたる活動を続けています1。
現在の活動
現在も80歳を超えてなお、車を運転して遠方の歌謡教室まで教えに行くなど、非常にアクティブな生活を送っているそうです。
また、NHK紅白歌合戦には5回連続で出場し、2005年には一般財団法人・古賀政男音楽文化振興財団より「大衆音楽の殿堂」入りを果たしました1。
以上が初代コロムビアローズ、松本マツ江さんの物語です。彼女の人生は、音楽と共に歩んできた素晴らしいものであり、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。
初代コロンビアローズさん何と、車の運転が好きで、今でも現役ドライバーです。
まとめ
千葉と埼玉の「ローズ会」なる歌謡教室まで、自らの愛車を運転して
歌を教えに行っているそうです。
何かと問題になる、高齢者の運転事故!
何事も無いことを願うばかりです。
これからもお元気で!