ショウコさん(激レア)はホームレスから世界一のフレアバーテンダーに!アイドル時代なども!

富田晶子=ショウコさん(激レア)はホームレスから世界一のフレアバーテンダーに!アイドル時代なども!

富田晶子(とみたしょうこ)が

”ショウコさん”として「激レアさんを連れてきた」に出演します。

「流されるままに生きた結果、ホームレスにまでなったが、

最終的に男だらけのフレアバーテン界で

世界一になったギャル」が登場します。

ショウコさんは元ゴリゴリのギャルで、

元ゴリゴリのホームレスでした。

そこから世界一になったショウコさんは、

バーテンダーはバーテンダーでも、

ビンを投げたりしてアクションの技を競う

「フレアバーテンダー」というショーの

世界コンテストで優勝した人物です。

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ショウコさん(激レアさん)のプロフィール!

名前 ショウコさん(激レアさん)
本名 富田晶子(とみた しょうこ)
生年月日 想定1980年3月11日
年齢 2018年11月5日現在38歳のようです。
出身 新潟県
身長・体重 157㎝ 43㎏
スリーサイズ B80/W60/H83
所属事務所 エクセリング
職業 バーテンダー歴&プロパフォーマー歴:18年

4本から足に挟む、
世界で富田晶子さん1人しか出来ない技を持つ。

受賞歴 国内大会で2回優勝

2009年:グアムの国際大会で優勝

ショウコさん(激レア)は世界初の

本格的日本人女性フレアパフォーマーの第一人者です。

国内大会で2回準優勝を遂げ、

グアムでの国際大会で優勝し、

現在はプロパフォーマーとして活躍中です。

ショウコさんは独自のパフォーマンスで

世界各国でストーリーショーをおこなっています。

マジックを使ったサプライズ演出や、

皆を惹きつけるコミュニケーショントークなどで、

ショーを演出しています。

ショーを依頼された際は、そのイベントや

パーティに合った演出をおこないます。

バーテンダーとしても

オリジナルカクテルが大人気で、

沢山のオリジナルカクテルを提供しています。

昨今の活躍は、

NHKレギュラー出演、雑誌、メディアなどで活躍中です、

その他企業のPR広告、

CM、映画などにも出演をしています。

ショウコさん(富田晶子さん)のSNS(ブログ、Twitter)を紹介!

ショウコさん(激レア)はホームレスから世界一のフレアバーテンダーに!アイドル時代なども!
出典元:https://ameblo.jp/shokoflairkonjo/

ショウコさん(激レアさん)
=富田晶子さんの公式ブログ
http://www.shokoflair.com/

ショウコさん(激レアさん)
=富田晶子さんの公式アメブロ
https://ameblo.jp/shokoflairkonjo/

ショウコさん(激レアさん)
=富田晶子さんの公式ツイッター
https://twitter.com/

ショウコさんフレアパフォーマンスを存分に
味わえるDVDを紹介します。ユーチューブ動画などもありますが、
このDVDでみる、フレアパフォーマンスは
全く違うものです。購入をお勧めします!

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ショウコさん激レア人生とは?


「フレアバーテンダー」って聞きなれない言葉ですよね。

世界的に有名になったのは

トム・クルーズ主演の映画「カクテル」です。

バーテンダーがボトルやシェーカー、

グラスを投げたりしてダンスなどの

パフォーマンスによってカクテルを作り出すのが、

「フレアバーテンダー」です。

ショー的な要素が強いバーテンダーです。

ショウコさんは世界大会で優勝した凄い人です。

ショウコさん日本にフレアが入ってきて間もない時期から始め、

技に磨きをかけました。

素晴らしいパフォーマンスに、

元はギャルでタレントの経験も。

「フレアバーテンダー」の殆どが海外男性プレイヤーです。

日本人女性が世界一になることは相当な難易度だと思います。

それでも世界一になり、

年間200本ものショーに出演するショウコさん。

このショウコさんの活躍は、

ゴロゴリギャルとホームレス生活、

両方の経験なくしては成し得なかったものだったとか・・・

何もうまくいかなかった1人の女性が

一念発起して世界一となる大逆転ストーリーの

激レアで感動的なお話です。

ショウコさん(激レアさん)は日帰り東京がアイドルへの道に繋がる!

出典元:https://ameblo.jp/shokoflairkonjo/

ショウコさん(激レアさん)のお母さんは日本舞踊の先生でした。

ショウコさんが3歳の時からお母さんに日本舞踊を習っていましたが、

お母さんが病気になり、日本舞踊を教えることができなくなりました。

ショウコさんが中学に入る頃、

日本舞踊を続けられなくなってしまいました。

ショウコさんはテレビで観ていた東京に憧れ、

高校1年生の時、1人日帰りで初めて東京に行きました。

渋谷の109で撮影をやっていて

「写真を撮りませんか?」と声を掛けられ、

東京での記念写真として撮影に応じました。

その写真がミスコンにつながっているとは知らず、

勧められるまま応募すると全ての審査を通過し、

実際に広告に載りました。

それをきっかけに芸能プロダクションから、

アイドルをやってみないかと誘いを受けました。

アイドル活動は東京に行けるチャンスだと思い

「1年だけ」という約束でお父さんを説得して東京に。

雑誌やラジオやテレビに出演するなど活動をおこないました。

ショウコさんの月収はたったの3万円でした!

東京で生活できる状態ではありませんでした。

ショウコさんは冷静に考えてみると、

歌を歌いたいわけでもなく、

グラビアをやりたいわけでもありませんでした。

ただ、東京に行ってみたかっただけだったのです。

そして2年後、目標が無く、

アイドル活動を辞めてしまいました。

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ショウコさん(激レアさん)のフレアバーテンダーとの出会いは?

富田晶子

出典元:https://ameblo.jp/shokoflairkonjo/

その後、行列が出来るレストランで働き始めました。

ショウコさんは受付の仕事をしていましたが、

店の人に「バーテンダーをやってみない?」

と声を掛けられたのです。

そのお店は、たまたまフレアをやる店でした。

日本にフレアが来てまだ1年くらい。

ショウコさんはフレアをみて感動し、

喜んでいるお客さんを見て、

ショウコさんは

「私も人を喜ばせられる人間になりたい!」

と強く思うようになり、

そしてBARの勉強とフレアの練習を始めました。

ショウコさんは最初は上手くいかず、悔しさで

1日10時間くらい練習したそうです。

上達いていく自分が楽しくて楽しくて、毎日練習をしたそうです。

東京でのアイドル時代とは気持ちが違っており、

何を頑張れば良いのかがわからなかった時とは

真逆で自分の努力が自信へと繋がっていく喜びを知りました。

ショウコさんは海外からフレア大会のDVDを取り寄せ、

新しい技を知ることや、

独自の技を研究する事の毎日が充実しました。

そんな中、母親が病で倒れ、

新潟と東京の行き来をする生活が続きました。

ショウコさんとお父さんが交互にお母さんの介護をして、

その合間をぬってフレアの練習をする日々が続きました。

結局はお母さんは亡くなりました。

ショウコさんはお母さんの死を受け止められず、

苦しい思いの日々が続きました。

「愛情の大切さ」を両親から教えてもらい、

父と母の子に生まれて本当に良かったと・・・

ショウコさんは両親に心から感謝をしているそうです。

ショウコさん(激レアさん)の家は漫画喫茶の2番室!

出典元:https://ameblo.jp/shokoflairkonjo/

ショウコさんはお母さんが亡くなり、

東京に再び戻ってきましたが友達も住む家もありませんでした。

ショウコさんは東京で3日間ほど公園暮らしをした経験があるそうです。

ホームレス生活ですね!!!

ショウコさんは「こんな自堕落なままじゃいけない!」と思い、

以前バイトをしていた漫画喫茶に行ってみました。

ショウコさんは再びそのマンガ喫茶で

バイトをさせてもらえることになりました。

店主に家が無いことを話すと、

マンガ喫茶の”2番室”のパソコンが壊れていて

お客さんに貸すことができないから、

荷物を置いてもいいよと言われました。

その日から漫画喫茶の”2番室”が

ショウコさんの家になりました。

夜はBARで働こうと思って面接に行き、

家がないので履歴書に住所も書けない状態でしたが、

そのBARで雇ってもらえることになりました。

面接の時「厳しくて辛いけど働ける?」と言われていましたが、

母の死に比べたら仕事の厳しさも辛くはなく、

すごく勉強になることも多かったです。

マンガ喫茶の”2番室”に住み始め3ヶ月が経った頃、

14番室のお客さんが毎朝4時に

スナック菓子を食べる音に耐えきれなくなり、

漫画喫茶暮らしを辞めました。

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ショウコさん(激レアさん)の対人恐怖症との戦い!


出典元:http://sugoihito.or.jp/
ショウコさん(激レアさん)はお母さんの介護中の

3年間はほとんど人と会いませんでした。

人と目が合うと震えて

ボトル1本さえも投げられない状況になっていたんだそうです。

克服することはとても大変だったそうです。

ショウコさん(激レアさん)は、

少しずつテレビなどに出演する機会が増える中で、

批判の声で自信を失ってしまい、

失敗しては泣く事を繰り返しました。

フレアの大会で結果を出せなくても、

練習とバイトだけしていればいいやと

自暴自棄になりそうな時、

知り合いから披露宴でショーを

やって欲しいと頼まれたそうです。

ショウコさん(激レアさん))は

「人前に出ると全身が震えてボトルを投げられないの」

と話したのですが、

「それでも良いからお願い!」と頼まれました。

しかし、初めて作った15分のショータイムで

ノーミスで出来たのです!

人前でノーミスで演技が出来た事に、

自信を取り戻しました。

ショウコさん(激レアさん)は再び、

フレアの大会にチャレンジするようになりました。

全日本フレア・バーテンダーズ協会(ANFA)

名誉会長の北條智之さんの

「自分らしくフレアをやればいいんだよ」という言葉に支えられ、

なんとグアムの世界大会で優勝しました。

ショウコさん(激レアさん)はその後、

技で勝負するよりお客様の喜びを追求したいと思い、

大会に出場するのを辞めました。

ステージパフォーマーとしての

道を切り開いていくことになります。

ショウコさん(激レアさん)がフレアを知らない人にどう伝えるかでやった事は?

フレアパフォーマンスは興味を持つ人と

持たない人に別れてしまいます。

ショウコさん(激レアさん)は

どうしたらそれを打破できるのか考えました。

他人のフレアパフォーマンスを観に研究をしました。

トップパフォーマーは

お客様を喜ばせるために

色々な工夫をしていることを学びました。

ショウコさん(激レアさん)は

パフォーマーの方に色々と話を聞かせてもらったそうです。

ある時
「ショウコさんはフレアの事しか勉強してこなかったよね!

僕らはお客様を喜ばせるプロとして、

一体感を作る勉強をしながら、

毎日路上に出て積み上げて来ているんだよ」

と教えてもらったのです。

それからショウコさんはパントマイムやダンスも習い、

構成も勉強し始めました。

今では3パターンの構成で30〜45分のショーを

作り上げることができるようになりお客さんを魅了しています。

まとめ

ショウコさん(激レアさん)のパフォーマンスは

お客様を巻き込んでステージに上がらせて、

お客様を必ずヒーローにするパフォーマンスをおこなうそうです。

リピーターがとても多いショウコさんステージ!

気になる方は一度足を運んでみては如何でしょうか!

激レアさんを連れてきたでの、

イジリがきになりますね!

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