大橋寿々子(おおはしすずこ)さんは、故大橋巨泉さんの奥さんです。
元々はアイドル歌手でしたが、大橋巨泉さんとの結婚を機に引退しました。
大橋寿々子(おおはしすずこ)さんは大橋巨泉さんの遺骨を納骨せず、
今も共に大橋巨泉さんと暮らす日々を過ごしているそうです。
最近は大学の社会人講座に通い始めるなど新たな生活をスタートさせているということです。
大橋寿々子(おおはしすずこ)さんについて!
出典:https://www.huffingtonpost.jp/2016/07/19/kyosen-wife-comment_n_11078380.html
大橋寿々子さん(旧姓:浅野寿々子)は、元アイドルで女優としても活動されていました。
彼女は1969年に大橋巨泉さんと結婚しました。
生年月日は公表されていませんが、現在の年齢は69歳前後と推定されています2。大橋巨泉さんが2016年に亡くなられた後、彼女の現在の住まいについての詳細な情報は公開されていません。
大橋寿々子(浅野順子)さんが21歳の時に大橋巨泉さんと結婚しました。
大橋寿々子(浅野順子)さんの生年月日は公表されていませんが、大橋巨泉さんが1934年生まれであること。そして大橋寿々子(浅野順子)が14歳下の年下婚であることから1948年生まれ位だと思われます。
当時は年の差婚が珍しく、大橋巨泉さんが浅野順子さんを誘拐したなどと話題になりました。
大橋巨泉さんは再婚で前妻との間に子どもが2人いました。
大橋巨泉さんは大橋寿々子さんとの再婚の時、子供は作らないと宣言。
大橋寿々子(浅野順子)さんの事を巨泉が行くところに、どこでも連れていったそうです。
番組の収録や出演はもちろん、カナダのバンクーバに建てた家やオーストラリアに建てた家などです。2人は必ず一緒に行動したそうです。
そんな事から、大橋寿々子さんは結婚を機に、アイドル歌手を辞めてしまいました。
大橋寿々子のアイドル時代の画像や芸名は?
出典:https://sleepyluna.exblog.jp/1115239/
大橋寿々子さんのアイドル時代の芸名は浅野順子です。
浅野順子「けんかえれじい」(1966年)
大橋寿々子(浅野順子)さんは当時、アイドル歌手でした。
映画に出演した唯一の画像です。
大橋巨泉さんについて
芸名:大橋巨泉
本名:大橋克巳
1934年東京都出身。
早稲田大学在学中からジャズコンサートの司会として活躍し、大学中退後はジャズ評論家・放送作家を経てタレントに転身。
『11PM』『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)、『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』など人気番組の司会を数多く務めた。
56歳の時に「セミリタイア」を宣言し、芸能界の第一線から退いた。
2001年には参議院選挙に当選して政治家に転身するも、6ヶ月で辞職。
その後は季節に合わせてオーストラリアやニュージーランド、カナダなどに滞在し、たまに日本に帰国し番組に出演するという生活を送ってきた。
最後のテレビ出演は今年2月のテレビ朝日系『徹子の部屋』で、今月7日に亡くなった永六輔さんとそろっての出演だった。
これまでに、胃がん(2005年)、中咽頭がん(13年)、リンパ腫(14年)、肺がん(15年)、と4度のがんを経験。
1994年から『週刊現代』でコラム連載を続けてきたが、今年6月27日発売号で自らの意志で最終回を迎えていた。
急性呼吸不全のため82歳で入院先の病院で亡くなりました。
通夜と葬儀は親族のみで済ませ、あらためて「大橋巨泉を偲ぶ会」がとりおこなわれました。
その際の喪主の大橋寿々子さんのコメントです。
この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、誠に有り難うございました。本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、結婚以来47年、何処に行くのも、何をするのも一緒でという生活を重ねてきたのでいまだに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼な事は重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします。
「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」
皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す“わがまま”と言われ、痛い事やつらい事、待つ事、自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。
そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦って来ました。
特に4月からの3ヶ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。
先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。
もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。
病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。
それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。その頃には会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。
そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。
たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います。
それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて伝えませんでした。
素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から感謝をしています。
そして何度も電話や手紙で励まして下さいました多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには改めてお礼を申し上げます。
最後に孫の言葉を添えさせていただきます。
「ジージ、これからはただで何処へでも飛んで行けるね!ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側にもいないとだめだよ!」2016年7月20日
大橋寿々子
担当医師による、モルヒネの過剰投与による誤診も大きく報道されました。
健康はとても大事です。
まとめ
オシドリ夫婦という言葉は、大橋寿々子さんと大橋巨泉のためにあった言葉だったのかもしれませんね。
大橋巨泉さんは大橋寿々子さんを本当に大事にしたんだと思います。
その証拠が納骨せず、いまだに自宅で一緒にすごしているという話しからうかがえます。
大橋寿々子さんは新たな楽しみを見つけ過ごしているそうですので、
これからも多くを学び、楽しく過ごしてほしいと思います。
こちらは大里桃子さんと言います。
20歳になったばかりの若手さんですが、
中学校の教員だったお父さんが教師を辞め、
娘のキャディーを務め、
親子一緒にゴルフを戦っています。
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