出典元:口笛奏者儀間太久実オフィシャルサイト
ギマさん(激レアさん)こと、
儀間太久実(ぎま たくみ)さんは
口笛の演奏を極めすぎて、世界チャンピオン(世界一)
にまで登りつめちゃった人として、
”激レアさんを連れてきた!”に出演します。
ギマさん(激レアさん)は
雑誌「NEWS WEEK」の世界が尊敬する日本人100人に選出されました。
ギマさん(激レアさん)は「口笛」が好きすぎて、
「天才口笛奏者」になってしまったからこそ生まれた
”ベートーベンばり”の苦悩が放送で明かされます。
ギマさん(激レアさん)のプロフィール!
出典元:口笛奏者儀間太久実オフィシャルサイト
名前:儀間 太久実(ぎま たくみ)
生年月日:1988年(昭和63年)2月25日生まれの現在30歳
出身地:大阪府大阪狭山市
高校:大阪府立金剛高等学校
大学:関西学院大学総合政策学部総合政策学科卒業。
祖父は版画家で絵本作家の儀間比呂志さん。
儀間比呂志さんの著書や版画をご紹介します。
沖縄民話作品が多々、販売されていました。
よろしかったら読んでみてください。
沖縄民話 わらしべ王子 | ||||
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版画集 儀間比呂志の沖縄 (南島叢書) | ||||
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ギマさん(激レアさん)の経歴やCDの発売は?
2006年
第1回全日本口笛音楽コンクールで準グランプリを受賞。
2007年
アメリカのノースカロライナ州で行われた
国際口笛大会第34回インターナショナル・ウィラーズ・コンベンションの
ティーンカテゴリーにおいて、
ポピュラー・クラシック部門共に
1位を獲得し、総合優勝。
2007年
ニューズウィーク日本版(07.10.17号)では
「世界が尊敬する日本人」100人の中に選ばれる。
2013年
第6回おおさか国際口笛コンクールにおいて最優秀賞を受賞。
2015年 マリンバ奏者、後藤ゆり子と、
口笛とマリンバによるCDアルバム「embrace」をリリース。
出典元:口笛奏者儀間太久実オフィシャルサイト
マリンバ奏者の後藤由ゆり子さんとの、口笛とマリンバによるCDアルバム。
儀間太久実×後藤由里子「emblace」
1.kiseki (作曲 儀間太久実)
2.君と (作曲 儀間太久実)
3.alone (作曲 後藤ゆり子)
4.pure blue (作曲 後藤ゆり子)
5.月虹(作曲 後藤ゆり子)
6.星が見えたら (作曲 儀間太久実)
7.月の砂漠 (作曲 佐々木すぐる 編曲 後藤ゆり子)
8.私のお父さん (作曲 ジャコモ・プッチーニ)
9.モルダウ (作曲 ベドルジフ・スメタナ 編曲 ゆり子&太久実)
10.浜辺の歌 (作曲 成田為三 編曲 後藤ゆり子)
11.ありがとう (作曲 後藤ゆり子)
Amazonや楽天でのCDの取り扱いは無く、
公式サイトから直接購入のみとなっています。
ギマさん(激レアさん)が口笛を始めたキッカケは?
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ギマさん(激レアさん)の家族は、両親と男三人兄弟の5人家族で、
三男(末っ子)として生まれました。
ギマさん(激レアさん)が小学校3年生の時でした。
長男が何気なく口笛を吹いているのを聞き、
ギマさん(激レアさん)は口笛を初めて知り、
初めて聴いたんだそうです。
とてもビックリしたそうです!
笛と言ったら、リコーダーやフルートのような楽器だけだと
思っていた為、何も使わない口笛に衝撃が走ったそうです。
口笛がとてもカッコいいと思ったそうです。
それから3日間練習をしたら、自分の口から笛の音が出たことが
感動で、上手くなる事に更なる楽しみが増してきたそうです。
楽しくて楽しくて練習の日々・・・
そしてまた上手になっていく自分がたまらなく楽しかったそうです。
ギマさん(激レアさん)は口笛にハマりこんでしまったそうです。
小学生の4年、5年になると、
口笛を吹かないことが辛くなり、ストレスさえ感じるようになりました。
例えるなら、
ヘビースモーカーが禁煙をした時の禁断症状に似ていると表現しています。
授業中は口笛を吹いてはいけないのは当然ですが、
その45分の授業が口笛を吹けずに苦痛で仕方なかったそうです。
授業が終わり休み時間になるや否や、口笛を吹き始める毎日で、
クラスの友人や
家に帰ってからは家族からも「うるさい!」と叱られていたそうです。
ギマさん宛に先生から手紙が届いたことがきっかけで!
ギマさん(激レアさん)が中学生になってからは、
すっかり口笛キャラが定着したそうです。
休み時間になると「ギマ、○○の曲吹いて!」
とクラスメート達がリクエストをくれるようになったんだとか。
ギマさん(激レアさん)が口笛を吹くと、
クラスメイトから「わー!すげー!」と褒められ、それが心底嬉しかったんだそうです。
その頃には、
皆とても優しくて、うるさいからやめてくれなんて言われた事はほとんど無く、
ギマさん(激レアさん)は本当に、クラスのみんなに感謝しているそうです。
ギマさん(激レアさん)は自分が、
世界で一番口笛を吹いていると自信を持つほどだったそうです。
そんな時、口笛で人を喜ばせる事が生きがいを感じていたそうです。
高校生になっても、口笛を吹く事はなんら変わらかったそうですが、
自分の口笛は一生趣味で終わるんだろうなとも思っていたそうです。
高校3年生のある時、中学校時代の先生から手紙が届いたそうです。
「日本で初めて口笛のコンクールが開催されるから、
ギマさん(激レアさん)が口笛好きやったからぜひ出て欲しいです。」
手紙に書かれていたそうです。
それを読んだギマさん(激レアさん)
「こんなんあるんや!」と内心とても嬉しかったそうです。
それまでギマさん(激レアさん)の周りで口笛をやっている人は
誰一人いなかったので、
ギマさん(激レアさん)自身、一人の世界としてやってきました・・・
コンクールの話しを聞いた時、
ギマさん(激レアさん)は自分以外にも、
口笛をやっている人が日本にいることを知り、
それがとても嬉しくて「全日本コンクール」に出場を決めたそうです。
全日本コンクールは、中学校の先生から手紙もらった時から、
2~3ヶ月後くらいの開催だったので、とにかく一生懸命練習をしたそうです。
以前ピアノを習っていた先生のところに行き、相談をして曲を決めたそうです。
それから猛練習を重ねて、全日本コンクールに出場したそうです。
1位・2位入賞者は、
翌年アメリカで行われる国際大会に出場できる資格をもらうことができる
このコンクールでギマさんは2位の入賞を果たしました。
アメリカで開催される世界大会というのは、
ギマさん(激レアさん)が出場する大会は34回目の歴史ある大会です。
世界大会では10代の部、20代の部と別れていましたが、
ギマさんは10代の部で19歳にして初出場で優勝をしてしまいました。
日本のコンクールで1位だったのは30歳くらいの方で、
アメリカでは部門が違って20歳以降の部に出場し、
残念ながら上位の結果とはならなかったそうです。
レベル的には、20歳以降の部の方が高かったので、
ギマさん(激レアさん)は、
そういう意味でかなりラッキーだったと言っています。
ギマさん(激レアさん)が口笛で挫折?
国際大会で優勝した事がきっかけで、
日本に帰国後は、
メディアに出る機会がとても増えたそうです。
ギマさん(激レアさん)は1週間のうちの半分以上、
取材やテレビの予定が入ってきたそうです。
大学に入学してからは、授業を受けず、
口笛の演奏や取材などを優先したため、
ギマさん(激レアさん)は3回の留年をし、
大学卒業に6年半かっかてしまったそうです。
当然、就職活動も一切しませんでした。
「ギマさんは口笛を仕事にしていく」という想いが、
就活をしなかった理由です。
大学を卒業してから4年ぐらい、バイトをしていた時期もあったそうですが、
口笛の仕事が中心でした。
ギマさん(激レアさん)はコンクールに出てからは
口笛中心の生活でした。
これから自分は口笛をどうしていこうか、
どうやったらもっとうまくなれるのか。
ギマさん(激レアさん)には、わからなくなる瞬間が・・・
ギマさん(激レアさん) 「天才音楽家」の「苦悩」~「覚醒」まで!
ギマさん(激レアさん)はなぜ自分が、
口笛をやっているのか?
とにかく口笛が好きでやりたくて仕方なくて、
自分からアクティブに活動してという事でないことに
ギマさん(激レアさん)は気付いてしまいました。
最初は無心に楽しくて、口笛を吹くだけで幸せでした・・・
ギマさん(激レアさん)は口笛を吹くだけで楽しかった・・・
人を喜ばせる事が幸せでした。
しかし、口笛の仕事とやっていくうちに、
楽しいという気持ちは無くなってしまったんだそうです。
口笛を吹く事が当たり前になり、
口笛は“吹かなければならないという義務感が
口笛を吹く楽しい気持ちをギマさん(激レアさん)から
奪っていったそうです。
仕事としてお金をもらってやっているというのはつまり、
上手くて当たり前、良い演奏して当たり前だという事です。
テレビに出て、ネットで誹謗中傷され叩かれたこともあったそうです。
口笛を吹くことが義務”や稼ぐために吹くという想いが強くなってきました。
ギマさん(激レアさん)はやがて口笛自体が嫌になったり、
口笛を吹く事に対して喜びが見出せなくなってしまいました。
ギマさん(激レアさん)は口笛の仕事を本当に辞めてしまおうと
思うことが何度も起こるようになったそうです。
毎回同じ曲をずっと延々と練習し続けて、上手く吹けて当たり前。
ギマさん(激レアさん)から楽しいという気持ちが消えてしまいました。
ギマさん(激レアさん)はそう感じ、
どんどん疲弊していったそうです。
なにもかも面倒くさくなって、練習をサボった時もあるそうです。
ミスがあると罪悪感が凄かったそうです。
聞く人を喜ばせる為に努力を重ね絶対に成功させる、
というのが“プロ”
でもこの時期は、そんな気持ちが全く無かったそうです。
1回何万とか30分で3万円とか、
口笛が割の良いバイトのように思えてきてしまったそうです。
良い演奏をしようが、それなりの演奏をしようが、もらえるギャラは一緒。
ギマさん(激レアさん)は口笛の演奏が、
普通のバイトより、
割の良いバイトと思うようになってきました。
そんな事を考える自分が許せなくなり、
口笛を辞めてしまおうと思うようになったんだそうです。
しかし、生活の為にはお金が必要・・・
ギマさんは苦悩の日々だったそうです。
そして大学の卒業の時に口笛を「もう本当に辞めよう…」と決めました。
そう思った瞬間にドッと涙が溢れてきました。
その後、ギマさん(激レアさん)はラーメン屋になろうと思ったそうです。
食べ歩くのが趣味だったほどのラーメン好きで、
ラーメン屋になる為に、どこかに修行に行こうと思ったそうです。
ギマさん(激レアさん)は思い出しました。
口笛だって、最初はそんな気持ちでやっていたんじゃなかったかと・・・
口笛が好きだったから始めて、苦しくなって辞め、
ラーメンが好きだから始めて、苦しくなって辞めるのでは。
結局何をやっても、
気持ちは同じなんじゃないのかと?
ラーメン屋さんはたくさんいるが、
口笛は自分にしか出来ないと考え直したそうです。
どうせどんなことやっても嫌になるのならば、
自分にしかできないと思えるものをやるべきなんじゃないかと・・・
ギマさん(激レアさん)が自分自身を振り返る!
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ギマさん(激レアさん)は世界大会から帰ってきてしばらくは、
優勝をおさめたことに有頂天になっていたと振り返っています。
自分の口笛はなんて上手いのだろう、もうこれ以上上手くなれないのではないか?
と思う程に、自己陶酔状態だったそうです。
プロのミュージシャンや音大生が、
一緒に演奏してほしいという依頼があり、セッションをしたら、
ギマさん(激レアさん)は全然ついていけなかったんだとか・・・
とても悔しい想いをしたそうです。
口笛という狭い世界で優勝して調子に乗っていたギマさん(激レアさん)は
“音楽”というもっと広い意味で捉えた上では、
なんてこともない、ちっぽけな存在だった事に気づかされたそうです。
プロのピアノ演奏者やヴァイオリン演奏者と同じ評価で、
口笛を認めてもらいたい。
これを根底に強く持ちつつも、
口笛を吹く事を仕事として捉え過ぎたことで苦しくなっていた時期を越えた今は、
また少し違う姿勢で口笛に向き合っているそうです。
ギマさん(激レアさん)の口笛の演奏動画を!
国際大会で優勝した時の曲は「トルコ行進曲」でした。
3オクターブの音域があるというギマさん(激レアさん)
の口笛は、とても口から出しているとは思えないほど、
非常に鮮やかで美しい音色です。
ピアノやボイスパーカッション等、
様々なミュージシャンと共演もされています。
ギマさん(激レアさん)のメディア出演歴は?
2006年 読売テレビ「ニューススクランブル」
2006年 毎日放送「ちちんぷいぷい」
2007年 日本テレビ「スッキリ!!」
2007年 日本テレビ「ズームイン!!スーパー」
2007年 フジテレビ「とくダネ!」
2007年 フジテレビ「めざましテレビ」
2007年 TBS「学校へ行こう!MAX」
2007年 テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」
2007年 アサヒ放送「ムーブ!」
2007年 関西テレビ「おじょママ!F」
2007年 読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」
2007年 日本テレビ「youたち!」
2007年 関西テレビ「関ジャニ∞のジャニ勉」
2009年 フジテレビ「笑っていいとも!」
2011年 関西テレビ「キキミミ!」
2016年 毎日放送「メッセンジャーの○○は大丈夫なのか?」
2017年 フジテレビ「ONE HOUR SENCE」
まとめ
ギマさん(激レアさん)の現在の心境は、
変わらずにずっと応援してくれている人がたくさんいて、
その人達に、恩返しができたらと思っているんだそうです。
ギマさん(激レアさん)は、家族も含めて、
無償で応援し続けてくれている人たちに、
有名になって恩返しをしたい心から思っているそうです。
ギマさん(激レアさん)これからもみんなの為に、
素敵な口笛の演奏を続けてください。
先週の「激レアさんを連れてきたの」の記事です。
よろしかったら、あわせてお読みください。