来週18日(月)の #激レアさん は
型破りすぎてワイドショーまで賑わせた美術教師🖼
いいかー、美術教師なのに超型破りな方法で甲子園に何回も出場する名門野球部を作り上げた元監督の登場だぞー⚾️
その型破り方に #若林正恭 #岸優太 #千秋 がツッコミまくり‼️観てくれよなー✨#弘中綾香 #キンプリ pic.twitter.com/pTG4DfHLsz
— 激レアさんを連れてきた。 (@geki_rare) 2019年3月16日
野々村直通(ののむらなおみち)さんが2019年3月18日の『激レアさんを連れてきた』に出演します。
美術教師なのに超型破りな方法で甲子園に何回も出場する名門野球部を作り上げた元監督の登場です。
型破りすぎてワイドショーまで賑わせた美術教師なんです。
見た目はどうみても極道の名物高校野球監督が巻き起こす破天荒すぎる奇跡の野球物語!!
野々村直通(ののむらなおみち)さんの野球部エピソードや現在のしごとについても調べてみました。
野々村直通さんの年齢や出身地と高校大学は?
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名前:野々村直通(ののむらなおみち)
生年月日:1951年(昭和26年)12月14日が生まれ
年齢:67歳(2019年3月現在)
出身地:島根県
高校:島根県立大東高等学校
大学:広島大学 学校教育学部美術家
野々村直通さん自身の野球選手だったときの経歴は?
●島根県立大東高等学校から広島大学(学校教育学部美術科)に進学。
●硬式野球部では2年時に広島六大学の首位打者を獲得。
●4年ではキャプテンとして全日本大学野球選手権大会に初出場。
●1塁手4番打者で出場した初戦で同志社大学に0-11で敗れた。
野々村直通さんの野球部監督としての経歴は?
●大学卒業後は広島県立府中東高校に美術教師として赴任。
●1978年秋の中国大会で準優勝し、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され監督として甲子園初出場を果たした。
●その後は帰郷し松江日大高校の監督に赴任。
●松江第一高校(後に開星高校)の教員になり、1988年4月に野球部を創部し初代監督に就任した。
●1993年夏の第75回全国高等学校野球選手権大会に初出場。
●1998年秋の中国大会で島根県勢としては1965年の邇摩高校以来33年ぶりの優勝を果たし神宮大会に出場。
エピソード
後野球部員2人が高野連の定める大会参加資格規定に違反していたとして2人が出場した大会の記録が無効になった。
これにより翌年の選抜大会への出場が無くなくなり、日本学生野球協会から警告処分が下った。
●2007年の第89回全国高等学校野球選手権大会で初戦の徳島商業高校戦で勝利し監督として甲子園大会初勝利を挙げた。
●2009年の第81回選抜高等学校野球大会では初戦で神宮大会優勝校の慶應義塾高校に勝利し選抜大会初勝利。
エピソード
2009年秋の中国大会で2度目の優勝。
2010年の第82回春の選抜高等学校野球大会に出場したが、初戦で21世紀枠選出の向陽高校に1-2で敗れた。
試合後のインタビューで「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。
切腹して死にたい」などの発言が問題となり、監督を一時期辞任していた。
●その後復帰を願う署名などもあり2011年4月に監督に再就任。
●夏の第93回全国高等学校野球選手権大会出場を最後に監督を退任。
●2012年3月に開星高校を定年退職した。
野々村直通さんがやくざ監督と言われた由来は?
高校野球の抽選会に、羽織袴姿をはじめ、紫のラメ入りのスーツで登場します。
菅原文太を思わせる、短髪とサングラスといった強面で・・・
監督室に日章旗や旭日旗を掲げる根っからの愛国者であること、極めつけに練習・試合中にあげる怒声で対戦相手を震え上がらせるなど「ヤクザ監督」と恐れられました。
野々村直通さんの教え子のプロ野球選手は?
野々村直通の教え子には5人のプロ野球選手がいます。
DAZNでは23日のロッテ戦より2019シーズンの巨人の主催試合の配信を開始する。
DAZNのハイライト映像を読売新聞社の新デジタルサービス「読売新聞オンライン」で見られるようになる他、DAZNの視聴者拡大のため、全国の読売新聞販売店を通じ、プロモーションをしていくなど、協力体制を敷いていく。
野々村直通さんの現在の職業や所属は?
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現在の職業:教育評論家及ぶ画家
所属事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
公式サイト:http://www.nonomura-naomichi.com/
野々村直通(ののむらなおみち)の伯父が京都の西陣織の下絵書きをする芸術家でした。
その影響で野々村直通さんも幼い頃から絵を描いていた。
教員時代の担当科目は美術教師でした。
個展の開催や島根県警鑑識課で似顔絵の特別講師をつとめるなど画家としても活動。
野々村直通さんは「山陰のピカソ」とも呼ばれていたそうです。
開星高校野球部のユニフォームを自らデザインしました。
野球部員が卒業する際には一人一人に似顔絵を贈ったそうです。
教師退職後の2012年4月より教育評論家に転身。
2015年7月に島根県松江市に画廊を開設しました。
島根県農業協同組合(JAしまね)の月刊誌「JAしまねびより」の表紙の原画も担当されています。
サンケイスポーツで連載コラム(『末代までの教育論』)の担当や、テレビ・ラジオ等のメディア出演するなど、様々な活動を展開しています。
野々村直通さんの出版著書は?
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野々村直通さんは定年後の2012年、2013年に4冊の著書を出しています。
強面ではありますが、美術教師を経ての画家活動やイラストレーターなどとして活躍中です。
本の内容も見た目とは違い、繊細な内容だと思います。
著書のタイトルは若干、過激ですが、読んでみるととても納得せせてくれる内容なんじゃないかと思います。
きっと、あなたのこれからの人生のヒントになると思いますので、是非読んでみてください。
『やくざ監督と呼ばれて』(白夜書房:2012年5月)
『にっぽん玉砕道』(勝谷誠彦と共著、産経新聞出版:2012年6月)
『強育論』(講談社:2013年3月)
『部活で大活躍できる!野球 最強のポイント60』(監修、メイツ出版:2013年4月)