松岡恵は宝塚歌劇団で何組に?父母や親戚などの家系は?今後の活動も!

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松岡恵さん(松岡修造さんの長女)が2019年3月1日に宝塚音楽学校を卒業し話題となっています。

兵庫県の宝塚市の宝塚音楽学校で、第105期生40人の卒業式が行われました。

 

今後の活動や松岡恵さんは宝塚歌劇団で何組になるのかも興味深いですね!

 

松岡恵さんの親族・血縁などの家系を調べてみると宝塚歌劇団であることがわかりました。

 

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松岡恵さんの年齢や出身校などのプロフィールは?

 

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名前:松岡 恵(まつおか めぐみ)

生年月日:1999年5月

年齢:19歳(2018年12月時点)

出身地:東京都

身長:169㎝

 

松岡恵さんは小学生から小中高一貫の学校に入学・卒業となりました。

日本女子大学付属豊明小学校

日本女子大学附属中学校

日本女子大学付属高等学校

 

松岡恵さんは宝塚歌劇団で何組に入るのか?

 

口コミ

宝塚ファン歴25年:

彼女は即戦力になるタイプよ。

在学中って大半が学生っぽい子で、すぐに舞台に立てる即戦力って感じの子は毎年数人なんだけど、彼女は断然後者。

「清く、正しく、美しく」を体現した“すみれ色”っていう空気感があるのよね。

 

はたして”すみれ組”になるんでしょうか?注目ですね!

松岡恵さんの父母のプロフィール!

報道で既に有名ですが、お父さんはスポーツキャスターの松岡修造さんです。

お母さんは元女子アナウンサーの田口恵美子さんです。

 

松岡恵さんのお父さんは?

名前:松岡修造

出身地 :東京都

生年月日 1967年11月6日(51歳)

身長/体重: 188cm/ 85kg

 

松岡修造さんは東宝第11代社長となる実業家の父:松岡功と、元宝塚歌劇団の星組男役スターであった母:千波静との間に三人姉弟の次男として生まれました。

さらに父方の曾祖父は阪急電鉄や宝塚歌劇団などの阪急東宝グループ創始者の小林一三さんです。

ツアー経歴

デビュー年 1986年

引退年 1998年

ツアー通算 2勝

シングルス 1勝

ダブルス 1勝

生涯通算成績 173勝207敗

シングルス 145勝163敗

ダブルス 28勝44敗

生涯獲得賞金 $1,117,112

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松岡修造の著書も紹介するね!
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読む前から熱そう!

松岡恵さんのお母さんは?

名前:田口恵美子

生年月日:1966年2月2日

年齢:53歳(2019年3月現在)

出身地:東京都新富町

 

高校:日本女子大学附属高等学校

大学:日本女子大学

大学院:ハーバード大学大学院

 

職業:元テレビ東京アナウンサー

国際基督教大学客員教授(2002年4月 – 2005年3月)

子供 松岡修造さんとの間に1男2女を授かっています。

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松岡恵さんの親戚や家系は?小林一三氏とは?

Ichizo Kobayashi showa.jpg
出典元:Wikipedia

 

名前:小林一三(こばやし いちぞう)

生年月日: 1873年(明治6年)1月3日

没年月日: 1957年1月25日(84歳没)

出身:山梨県韮崎市

配偶者:小林幸

出身校 :慶應義塾大学

 

小林一三氏の実業家経歴は?

 

小林 一三氏は阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。

 

阪神急行電鉄社長・会長

東京電燈副社長・社長

東宝社長

コマ・スタジアム社長

日本軽金属社長

くじらさん
宝塚に関する著書を紹介するね!

 

小林一三さんの政治家経歴は?

所属政党 無所属倶楽部
第21代 商工大臣(内閣 第2次近衛内閣)
在任期間 1940年7月22日 – 1941年4月4日

 

国務大臣
内閣 幣原内閣
在任期間 1945年11月5日 – 1946年1月13日

 

初代 戦災復興院総裁
内閣 幣原内閣
在任期間 1945年11月5日 – 1946年3月9日

 

貴族院議員
選挙区 貴族院勅選議員
在任期間 1941年4月4日 – 1946年5月14日[1]

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小林一三さんのご子息は?

長男・冨佐雄

1901年(明治34年)1月に生まれ、東宝代表取締役社長を務めた。

1957年(昭和32年)10月死去。尾崎紅葉・泉鏡花・永井荷風ら近代文学の書物収集が趣味で、コレクションが池田文庫の「小林家文庫」に収蔵されている。

 

次男・辰郎

卒業と同時に松岡家に養子入りし、義理の父が松岡汽船創業者で呉羽紡績役員発起人の松岡潤吉となる。

 

後に東宝代表取締役社長を務めた。

1974年(昭和49年)8月死去。

 

辰郎の子が現在の東宝会長・松岡功で、その息子で一三の曾孫にあたるのが、元プロテニスプレイヤーの松岡修造で、その娘の松岡恵さん(玄孫)が、宝塚音楽学校に105期生として合格した。

 

三男・米三

京都帝国大学卒。

京阪神急行電鉄(1973年までの阪急電鉄の社名)社長を務めたが、在職のまま1969年(昭和44年)2月に死去した。

 

阪急電鉄元会長・社長・名誉顧問、宝塚音楽学校名誉校長を務めた小林公平(2010年5月死去)は、辰郎の長女で米三の養子となった小林喜美の夫で、戦前からの三菱グループ幹部の家系であった三村家から小林家に婿入りした。

 

また、公平の長男が元・宝塚歌劇団理事長の小林公一である。

 

次女・春子

サントリー創業者鳥井信治郎の長男・吉太郎に嫁ぐが、吉太郎は33歳で亡くなる。

息子に3代目サントリー社長・鳥井信一郎がいる。

 

親戚

小林の異母弟には山梨県選出の衆議院議員で「カミソリ」と謳われた田邊七六、興行界のドンとして関八州の顔役達を膝下に置いた田邊宗英(日本ボクシングコミッションの初代コミッショナー。

 

後楽園スタヂアム社長)がいる。宗英の後に後楽園スタヂアム社長、ボクシングコミッショナーを務めた真鍋八千代は一三と田邊兄弟の義従弟にあたる。

 

なお、宗英と一三は同じ一三の死後11年目となる1968年に兄弟揃って野球殿堂入りをしている。

 

田邊兄弟、真鍋八千代は読売新聞社社主の正力松太郎と関係が深かったとされ、戦前から戦後にかけて噂も多い。

姪は日夏耿之介のいとこ(叔父の長男)の樋口正美に嫁いだ。

松岡恵さんの今後の活動は?

 

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2019年3月1日に松岡恵さん達40名の105期生は卒業式。

同日に宝塚歌劇団に入団ですが、入団式は父母ですら出席が許されていないそうです。

 

2019年4月19日の宝塚大劇場で開幕する宙組公演「オーシャンズ11」で恒例のラインダンスを披露して初舞台を踏みます。

 

松岡恵さんの宝塚音楽学校の入学がコネという方がいましたが・・・

コネじゃないことがわかりましたよね!

 

知人の娘であればコネかも知れませんが、宝塚歌劇団の創設者の親族ですので、入学又は入団できて当然なんです!

そこらも辺も含めて、今後の宝塚歌劇団での活躍は約束されているんじゃないでしょうか!!!

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